
妥協の末の結婚にどうして幸せがあると思ったのだろうか
どうしたって別の人間が一緒に暮らすということは
無理があることだ
認識をすり合わせ続ければいいのかもしれないが
感覚的な違いはおそらく永遠だ
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衝突があった場合
冷静に状況を分析してどちらが正しいかを検分するのが本来の
人間としてある行為だが
往々にして、これが上手くいかない
どちらかが折れなければならない状況に陥ったとき
あるいは、これは傲慢かもしれないが
精神的に成熟した方が折れる
そして成熟していない側のわがままがまかり通るという形になる
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それがたまにあるというのなら良いだろう
だがそれが頻繁にあり
そのわがままを通す
魅力が相手に備わっていなかった場合
精神的に成熟した側も
このまま一緒に過ごすことを諦めるであろう
相手が自分の好意や善意を搾取し肥え太る存在でしかないと
判ってしまえば、それまでだ
離別を選ぶ
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考えてみよう
違う存在である以上、
衝突は避けられない
であればお互いに冷静に物事を見ることのできる
ならそれでいい、ではそうでなかったら
傲慢さを許せるほどの
魅力、愛嬌、経済力がある
ならば、それでいい
では何もなかったとしたら?
結婚しなければ、という強迫観念にかられ
自分の容姿や能力を客観視することもできない
もの同士が結婚してしまった場合
そして奇跡が起きずに
当然、衝突を繰り返してしまう
どちらかが成熟した精神の持ち主ならば
負荷を受け入れ
あるいは比較的精神の幼いものを感化させ
上手く生きていくこともできるかもしれない
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それもなかったとしたら?
そんなとき
お互いが対等の立場であるという考え方は危険ではないだろうか
対等な立場の人間が自由意志によって(妥協したとしても)
選んだという認識がある場合
人はすぐ手放すだろう
どちらも折れることができない
待ち受けるのは戦争であり、破局に終わるだろう
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同じ立場というのは良いことだろうか?
精神の成熟度に差がある場合
立場にも高低があってしかるべきであり
それが物事を円滑に進めることになるのではないかと思う
まあ、思っただけだ
ただ