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かつてあったはずのなにか

皆様に幸多き事、お祈りいたします ※ わけあって画像の多くを消しました。意味が通らない箇所があるかもしれません。申し訳ありません。 文章雑な所がありますので、斜め読みで大丈夫です。 記事が表示されない場合は、削除がまだ反映されていないのだと思います。大変申し訳ありません。

幸せに

Non vere vis esse beatus?

昔から、というよりは、以前から、という方が適切だろうか。

別段、気になっていたというわけではない。

ただ、明らかな欺瞞を、そのまま放置しておけるほど、当時の私は大人ではなかった。ただそれだけのことだ。

『あなたは実際のところ、幸せになる気がないんでしょう?』

少年には私たちよりもはるかに多くの選択肢があるように見えた。

見えた、というよりは実際彼は多くの選択肢を持っていた。

あるいは多くの未来を持っていた、というべきだろうか。

べき、というより、そういう言い方もできる。というだけか。





当時の私にその少年の心を慮れ、というのはいささか酷な話だ。

私は今でさえ、他人のことなんてこれっぽちも判らないし、自分のことも同じだけわからない。

そして、これは決定的な理論、あるいは信念。

……どうも、言葉というのはいくらなんでも数が多いような気がする。

それでいて、いくら探してみても正しいものは何一つ見つからないので、うんざりする。

だから私は不細工にも、一つの事象を説明するのに、あれもこれもと言葉をつけたし続けなければならない。

あるいはこれは……私の機能的な欠陥なのだろうか。



例えばそれは、夏が夏であるというだけで、暑い……だとか。



  

冬は寒いとか……雪は嫌だなとか。



花火の属性、うるさいと綺麗、だと綺麗の方が勝るだろうか。

……彼は、苦痛の中に喜びを見出していただろうか。

苦難の中に甘美を感じていたのだろうか。

……いや、違うな。

彼は結局のところ、ずっと被害者でいたかったのだ。

誰かにずっと、踏みつけにされた人生だった。

でも彼は幸せになることだって、できたはずだ。

私とは違うのだから。

この場合の幸せ、というのは、だからその……他人を踏みつけにしたうえで享受する類のものでしかないということなのだけれど。



それは、もしかしたら、例えば、みんなそう思うのかもしれないけれど、彼なりのどこへも行けない私たちへの同情、……いや違うか、優しさ……

どちらかだけではないか、多分、両方。



彼は結局私たちの前から消えた。

うーん、違うな、これは。
判り切った間違いだ。

私たちは、いい加減、彼がどこにも行かないことが許せなくなって追い出してしまったのだ。

それは、衝動的な行為に見えたかもしれない。
でも、私たちにとっては熟慮の末だった。

でも、その結果、彼がここにいた時よりも幸せになれたのか判らない。

それはきっと彼にしかわからないことだ。

当たり前の話。他人の気持ちが判るわけもない。



とまあ、これは無責任な嘘でしかない。

彼は自分の感情を言葉にしない。できないわけではない。ただ、しないだけ。

そのわりが、そのしわ寄せが、彼の表情にははっきり出ていて、だからもし何か彼に言えることがあるならば、だからきちんと謝るべきなのだろうとは思う。

彼を追いだしたころよりも私たちはずっと減ってしまったから、今の私たちの謝意で足りるかどうか。

でもまあ、もう会えないだろうけれど。

もう、会えないんだけれど。
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