娯楽はそれ単体として成立しうるのか
結局のところ、
娯楽の面白さを認識するためには
その前段階の状況をつまらないと感じていなければならないのではないか
娯楽から楽しみを享受するためには
いつだって苦痛の沼に浸かっていなければならないのではないか
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例えば苦痛の全くない日々はあり得ないが
大して苦痛がないという日々はある
そんな時
どうやって快楽を得ればいいのか
あなたはこう思うかもしれない
大して苦痛がないということ
それ自体が苦痛になりうるのではないかと
その通りだ
しかしそれは苦痛の強度としては弱い
結論としては
どうすればいいのか僕には判らない
ただ肉体的な喜びに走ればいいのではないかとは思う
これは肉欲ではなく
運動をするという意味で