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かつてあったはずのなにか

皆様に幸多き事、お祈りいたします ※ わけあって画像の多くを消しました。意味が通らない箇所があるかもしれません。申し訳ありません。 文章雑な所がありますので、斜め読みで大丈夫です。 記事が表示されない場合は、削除がまだ反映されていないのだと思います。大変申し訳ありません。

娯楽によって快楽を得るために

娯楽はそれ単体として成立しうるのか
結局のところ、
娯楽の面白さを認識するためには
その前段階の状況をつまらないと感じていなければならないのではないか

娯楽から楽しみを享受するためには
いつだって苦痛の沼に浸かっていなければならないのではないか

****

例えば苦痛の全くない日々はあり得ないが
大して苦痛がないという日々はある
そんな時
どうやって快楽を得ればいいのか

あなたはこう思うかもしれない
大して苦痛がないということ
それ自体が苦痛になりうるのではないかと

その通りだ
しかしそれは苦痛の強度としては弱い

結論としては
どうすればいいのか僕には判らない

ただ肉体的な喜びに走ればいいのではないかとは思う
これは肉欲ではなく
運動をするという意味で
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