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かつてあったはずのなにか

皆様に幸多き事、お祈りいたします ※ わけあって画像の多くを消しました。意味が通らない箇所があるかもしれません。申し訳ありません。 文章雑な所がありますので、斜め読みで大丈夫です。 記事が表示されない場合は、削除がまだ反映されていないのだと思います。大変申し訳ありません。

人に優しくするために

これが最後かもしれない

考え続けてきた答えがこれだ
がっかりさせたら申し訳ないと思う

でもこれが現時点の解答だ



人に優しくするために
自分はには余裕がなければならない

自分勝手に生きること
それを許容するには
無理をしすぎたからだ

人に辛くすれば
それは後々、罪悪感として自分にのしかかる
それは自分の理想から遠いからだ

その齟齬は
自分の醜さを露見する

自己認識を傷つけないためには
いい人間であろうとし
そのために余裕を持つことが必要だ

ただし
誰にでもよく接する必要はない
それは神ですらそうであることからも判る

自分から見て
(色々なもののしみ込んだ自分から見て)
優しくするに値しないと思う物には
もはや近づかない方がいい

誰にでも優しく
それは、でも
悪人を助けることではなかったはずだ

だからこれでいいんだ



人には優しく
ただし人は選ぶ

そのために自分には余裕が必要だ

ただそれだけだ


これで終わり
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