いろいろあって昔よりも幸せになったはずなのに
全然、幸福を感じない
大人気漫画『チェンソーマン』を読んでいて
幸せは永遠につかめないのではないかと思った
以下、チェンソーマンのネタバレあります
物語の始まり、主人公は借金取りに金を返すだけの生活を送っていて
普通に生活することに憧れていた
借金取りたちがさらに力を得るために悪魔と契約するのだが
逆に悪魔に乗っ取られてしまう
主人公はその悪魔に騙されて殺されてしまう
その時考えていたのが
どうしてこの借金取りたちは普通の生活があるのに
さらにその上の生活を望んだのだろうか、ということだ
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主人公は公安のデビルハンターとして働くことで
あっさり普通の生活を手に入れてしまう
そこでいろいろあって
女性の胸をもむためにまた頑張るのだが
それがかなっても満たされない
そのあともいろいろあったのだが
物語の終盤(だとおもう)の先週のジャンプで
改めて主人公はもう既に、当初の夢だった普通を手に入れていることに気づく
そして今週のジャンプで(2020/11/18現在)
さらに毎日ステーキを食べたいとか
彼女が10人くらい欲しいとか思っていることに気づくというか
言っていた
1話の時点で皆、今以上を望んでしまう、みたいなことが書いてあって
もう、まんま今そうなっているんだなあと
詳しくはジャンププラスで1巻分無料で読めるので読んでみてください
(2020/11/18現在)
主人公は仮に毎日ステーキが食えて、彼女が10人いるようになったら
それで満足できるんだろうか
(まず、そんな展開にはならないと思うけれど)
毎週楽しみにしている
チェンソーマンがないとここまで生きてこれたかかなり怪しい
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自分の話に戻る
幸せは麻薬みたいなものなんじゃないだろうか
1時的に何かに成功して、嬉しかったとしても
その感情は薄れるし
同じ快楽を得ようとして、かつての行為をなぞったとしても
初めての時のようには喜べないだろう
慣れ、や飽きが生じてしまうため
そうするともっとすごい幸せ、もっと強い幸せを
永遠に求め続けるしかない
一時だけ満たされて、すぐ次の幸せに向けて走り出さなければならない
自分にはもうその一時だけ、さえも来ていない
この件に関しては幸福インポテンツを参照していただきたい
幸せになろうと思うこと自体が間違いなのだろうか?
だが、間違いだったとして自分たちは何のために生きればいいのか
判らない
もしも、宝くじが当たったり
猫と暮らすようになったり
一軒家を持ったり
美少女を養子にすることになったりしたら
俺は幸せと感じるのだろうか
結局、どこまで行っても満たされないのではないか