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かつてあったはずのなにか

皆様に幸多き事、お祈りいたします ※ わけあって画像の多くを消しました。意味が通らない箇所があるかもしれません。申し訳ありません。 文章雑な所がありますので、斜め読みで大丈夫です。 記事が表示されない場合は、削除がまだ反映されていないのだと思います。大変申し訳ありません。

どこにでもある虐待

子供のころ、自分は本当は天皇陛下の子供なのだと思っていた
何も確信があったわけではない
むしろ否定するものならいくらでもあった
それでも信じるしかなかった

虐待を受けた子供が皆そうだとは言い切れないが

多かれ少なかれ出生妄想をするだろう
ストックホルム症候群の方が
親への愛があるなどと馬鹿なことは言わないでほしい

どちらに針が振れたとしても
その責任は子供にはない

****

3人兄弟の真ん中に産まれたからだろうか
子供のころから
あまり手をかけてもらえなかった気がする
顕著になってきたのは中学に入ってから
祝い事、という物が基本的になくなった
基本的に料理はまずかった
愛があれば美味しくなるとは言わないが
愛がない料理はまずい
そもそもおいしいと思わせる気がないように思えた

そしてそのうち気が付く

ああ、これは罠だなと
不味いと僕が言ったなら
親はこっちは頑張って作っているのに
お前は文句ばかり言うと
僕を責める権利を得るのだ
だから何も言わなかった

高校生になり
弟は中学に入った
弟は僕と会わないところで
美味しいものを食べているらしかった

ここで分かるのは
彼らは子供に対して厳しいのではなく
僕に対して厳しいのだ

高校生のころ
弁当は毎日不味かった
あまりの不味さになんだか馬鹿らしくなった
もう作らなくていい、と告げた
当然、もう作らなくなった

僕は自分で弁当を詰めるようになった
ほとんど変わらない
だって、親がしていたのはただあまりものを詰める作業だったからだ
それをするのが自分になっただけだ

部屋にはストーブがなかったので
冬は毛布にくるまっていた
当然、ちょっとしたことで眠くなり
勉強はできなかった
そもそも
毎日13キロ自転車をこぐのは辛い
冬になれば雪が降るが
車に乗せてもらえないから
自転車で行くしかない
そして学校で教師に怒られる
なぜ送ってもらわなかったのかと
送ってもらえなかったと言う前に
説教は終わる 一方的だったから
あの高校はゴミだったなと思う

その内弁当を作るのも嫌になって
昼は何も食べなくなった
お小遣いなんてないから学食へ行くはずもない
何も食べずに教室にいるのも嫌だったので
当然、友達はいなかった

図書館で時間をつぶした
誰もいない空間はいいなと思った
その時、西尾維新や奈須きのこを知った

当時は苦しい思いを絶えれば耐えるほど
きっといいことがある
きっと強くなれると思っていた
でもそんなことはなかった

吹雪の中自転車を押して歩いたことや
朝から何も食べずに夜まで学校にいたこと
それがなんになっただろうか
何にもならなかった

ストーブのない部屋で毛布にくるまって過ごしたこと
それがなんになっただろうか
冬になっても長袖のtシャツの域を超える服は与えられなかった
そして聞こえよがしに
高校生なんだから自分で買えばいいのにという
その金はどこから出るのだろうか

親はよく子供を叱るときに
打ち出の小づちを持っているわけではないと言っていた
こちらのセリフだ、と思う

今車に乗るようになって思う
こんな簡単なことを親はしなかった
したくなかったのだと

認めたくはなかった
だが、客観的に見て
僕の親は自分が可愛いのだと
それが端的な事実だった

自傷行為をしたこともあった
思ったよりも血が出なかったが
わざと部屋をそのままにしておくと
片付けるのが大変だったと言って怒った
僕のことはどうでもいいらしい

通っていた高校は進学校だったが
先生たちはちょっと学生を馬鹿にした態度をとる人が多かった
思えば僕は遅刻ばかりしていたけれど
それで何を言われることもなかった
僕はそれが温情だと思ったけれど
多分、首を突っ込んで面倒になるのが嫌だったのだろう
あの高校の教師も屑ばかりだな(主観)と思う
そんなことばかり言うお前も屑だなと言いたいかもしれないけれど
僕は自分がくずであることを認める
だが僕を屑だとした君もまた屑であると一生胸に刻んで生きていってほしい

ちなみに僕がなぜその高校を選んだかというと
最初は工業高校に行ってすぐ働こうと思っていたが












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